終盤に当用漢字・常用漢字・人名漢字に触れて行く中でJIS漢字の奇妙な改正にも触れている。
役人の引き起こした「ドッタンバッタン大騒ぎ」を知ることは大切だ。
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漢字は日本語である (新潮新書 253) 新書 – 2008/3/17
小駒 勝美
(著)
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- 本の長さ200ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2008/3/17
- 寸法10.8 x 0.9 x 17.3 cm
- ISBN-104106102536
- ISBN-13978-4106102530
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2008/3/17)
- 発売日 : 2008/3/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 200ページ
- ISBN-10 : 4106102536
- ISBN-13 : 978-4106102530
- 寸法 : 10.8 x 0.9 x 17.3 cm
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Amazon Customer
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Amazonカスタマー
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漢字を駆使してきた日本人、その歴史も素晴らしい。
こういう事を、小学校で学ぶとよいのに。
こういう事を、小学校で学ぶとよいのに。
katsusan
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目から鱗でした。
漢和辞典の部首は、漢字の意味を表す部分だってこと知りました。
漢和辞典を部首で引くときは、意味の部分意符の部分で探す。
漢和辞典を引き方を教わったことはなかった。
うろ覚えに、「ぎょうにんべん」だとか「さんずい」とかで引いて、
該当の字が出てこないことがあったが、意符が違ったということですね。
この本によれば、「問」「聞」「悶」の意符は「口」「耳」「心」
これが部首になる。
常用漢字の秘密、人名漢字の不思議も納得しました。
漢字についての新しい発見がありました。
漢字について、日本語について知りたい方には一読の価値があります。
漢和辞典の部首は、漢字の意味を表す部分だってこと知りました。
漢和辞典を部首で引くときは、意味の部分意符の部分で探す。
漢和辞典を引き方を教わったことはなかった。
うろ覚えに、「ぎょうにんべん」だとか「さんずい」とかで引いて、
該当の字が出てこないことがあったが、意符が違ったということですね。
この本によれば、「問」「聞」「悶」の意符は「口」「耳」「心」
これが部首になる。
常用漢字の秘密、人名漢字の不思議も納得しました。
漢字についての新しい発見がありました。
漢字について、日本語について知りたい方には一読の価値があります。
坂田三吉
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著者は子供のころから漢字に興味を持ち、漢字の使い方に人並み以上に精通してきたが、独自の発展をしてきた日本語漢字のための漢字辞書がないということが長年の不満であったという。その考えが嵩じて新潮日本語漢字辞典をはじめて編纂した。日本語における漢字の使用法は中国語とは大きく違っており、従来の漢和辞典では網羅することができない。新しい辞書では日本語で使われている用例が次々ならんでいて格段に使いやすくなっている。著者の長年の希望が実現している。新潮社を説き伏せて新しい辞書編纂までこぎつけた努力には脱帽である。
漢字は日本語であるとは「漢字はまったく日本風に使用されているので、日本語であると考えてよい」という意味であろう。日本語における漢字の使い方をいろんな角度から紹介して、中国での漢字の使い方と違うことを豊富な例で示している。
漢字は日本語(大和言葉)の単語をあらわすために使われており日本語のための表意文字となっている。それを可能にしたのが漢字の訓読みである。送り仮名の発明もあり、漢字は大和言葉の表意文字としてスムーズに取り入れられた。その間、大和言葉はほとんど変更を受けていない。大和言葉は原型を保ったままである。それは1500年前の単語が21世紀の現代日本語の中にほとんど同じ形で見られることから明らかであろう。違いは漢語的に造語された単語が多く日本語のなかに使われるようになったことである。
日本語は大和言葉をという柱を変えることなく表意文字(漢字+国字)を使えるようにした世界で唯一の成功例である。そのことを著者は明らかにし、そのための日本語漢字字典を編纂した。この辞書が多くの人の役に立つことを期待したい。
漢字は日本語であるとは「漢字はまったく日本風に使用されているので、日本語であると考えてよい」という意味であろう。日本語における漢字の使い方をいろんな角度から紹介して、中国での漢字の使い方と違うことを豊富な例で示している。
漢字は日本語(大和言葉)の単語をあらわすために使われており日本語のための表意文字となっている。それを可能にしたのが漢字の訓読みである。送り仮名の発明もあり、漢字は大和言葉の表意文字としてスムーズに取り入れられた。その間、大和言葉はほとんど変更を受けていない。大和言葉は原型を保ったままである。それは1500年前の単語が21世紀の現代日本語の中にほとんど同じ形で見られることから明らかであろう。違いは漢語的に造語された単語が多く日本語のなかに使われるようになったことである。
日本語は大和言葉をという柱を変えることなく表意文字(漢字+国字)を使えるようにした世界で唯一の成功例である。そのことを著者は明らかにし、そのための日本語漢字字典を編纂した。この辞書が多くの人の役に立つことを期待したい。
ミヤコ
本書は、著者の「漢字のルーツは中国であるが、日本に導入されて以来、
日本独自の発展を遂げてきたために、現在では日本独自の性質をもって
いる」という信念の下に書かれたものである。
本書の前半は、主として上述した著者の考え方を主張し、後半は徐々に
漢字にまつわる小噺を紹介していくという体をとっている。
漢字について書かれた本は、私は初めて読んだたこともあり、これら
小噺のほとんどは初めて知るものであり、興味深かった。
確かに、著者が述べているように、現在の日本語は漢字なしでは
成り立たないと言ってもいい。日本人として身近である故に、あまり
客体視して考えない漢字というものが、どこから来て、どのような
役割を果たし、どのよな性質を持っているか等を考えるきっかけを
与えてくれる本であると思う。
日本独自の発展を遂げてきたために、現在では日本独自の性質をもって
いる」という信念の下に書かれたものである。
本書の前半は、主として上述した著者の考え方を主張し、後半は徐々に
漢字にまつわる小噺を紹介していくという体をとっている。
漢字について書かれた本は、私は初めて読んだたこともあり、これら
小噺のほとんどは初めて知るものであり、興味深かった。
確かに、著者が述べているように、現在の日本語は漢字なしでは
成り立たないと言ってもいい。日本人として身近である故に、あまり
客体視して考えない漢字というものが、どこから来て、どのような
役割を果たし、どのよな性質を持っているか等を考えるきっかけを
与えてくれる本であると思う。
きりっとね
Amazonで購入
配送はスムーズに着きました。外観は大変きれいでしたが、読み始めると書き込みがおおくて若干気に障りました。本の内容は色々考えさせられました。
オデッセイ・オブ・井坂
たとえば、小林秀雄『本居宣長』を開くと、最初、本居さんの遺言の話から始まる。遺言書の墓碑の図解には「本居宣長之奥津紀』。
はて、「奥津紀」とは何のコトゾや? 漢字が三つも並んでいるから、漢和辞典で調べるのが妥当だろう、と思って三省堂の漢和辞典「漢辞海」をめくっても、こういった熟語は出てこない。...
本書の最初の部分を読んで、まず同感したのが、現在の「漢和辞典」の煮え切らなさ。国語、英和、古語、漢和...とならべて、一番使い勝手が悪く、社会人になると同時に真っ先に処分されるのが「漢和」では? いや、古語の方が使い道ないか...
それはともかく、その使い勝手の悪さの理由は、
1)引きづらさ(目的語がなかなか検索できない)
2)目的語がそもそも、掲載されてない!!
の二つに集約されると思う。
まず、その漢字の読み方「も」判らないから辞典で引いてみようと思うが、読みが判らなければ、部首か画数で、ということになる。
ところが、画数は計算が少し面倒。棒線や点の一つ一つが一画と計算される訳ではないからだ。
さりとて、部首となると、さらに奇々怪々。
たとえば、閣/問/聞/悶。この四つの漢字、實は全部部首が違うんだそうな。どうしてそうなるかというと、そもそも「部首」とは、漢字の意味を表す「意符」と呼ばれる部分を取ることが基本だから。
こういったハナシ、私は全く初耳なのだが、高校の漢文の時間に習ったのだろうか?? ちなみに、「意符」に対するのが「音符」だが、何故か「漢辞海」には、前者は見出し語として掲載されているが、後者はない。ここら辺も、「一つの宇宙」として、漢和辞典が洗練されていない現れだと思うのだが...
閑話休題。
本書の著者は、新潮社の校閲部に勤務していて、従来の漢和辞典には不満があり、「日本語を読む為の漢字辞典」として、「新潮日本語漢字辞典」を企画したのだと言う。そこら辺が導入部になって、既存の中国学者や漢文学者からは聞けないような、やはらかい、日本語としての漢字のハナシがあれこれ聞ける。とにかく楽しい。
それから、アルファベットが至上世界のパソコン(ワープロ)において、逆に漢字が身近になって来たという逆説も見逃せない。少なくとも、自分を顧みれば、手書き時代より明らかに漢字の使用量が増えている。これは、正確に形状を記憶していなくても、パソコンでは筆記(出力)可能、また、使用に付いても、現在では様々な支援システムが充実しているので、学がなくても用法の正確さが増して来た。それにともかく、漢字には何とも言えない不思議な魅力がある。
偉大なジャレド・ダイヤモンド(確か奥さんが日本人)ですら、その主著の中で、日本人はいつまで非効率的な漢字を捨てられないのだろう、と書いていたが、国家が滅びない限り、日本人は漢字と同衾し続けるだろう、という気がしますよ。
一読、他の教養系ブンコにありがちな「雑学」系の書物と同一視する向きもあるかもしれないが、私はそうはよまない。そこには、漢字(中国古典や文化ではない)に対する愛情や好奇心が満ちている。小林秀雄の書き様をまねるなら、「彼の激しい喜びが感じられないやうでは、仕方がないであらう」
本書は博士号を請求するような学会向けの学術論文ではないのだから、細部で誤認や誤解があるのもやむを得ないだろう。そういったことは専門家が適宜、補正してあげれば済むことで、徒に☆を削ってなんになるか。「校正係」だといって、馬鹿にしたり軽んじたりしてはいけないのである。漢学者には偉ぶってるやつがまだ多いからな。
はて、「奥津紀」とは何のコトゾや? 漢字が三つも並んでいるから、漢和辞典で調べるのが妥当だろう、と思って三省堂の漢和辞典「漢辞海」をめくっても、こういった熟語は出てこない。...
本書の最初の部分を読んで、まず同感したのが、現在の「漢和辞典」の煮え切らなさ。国語、英和、古語、漢和...とならべて、一番使い勝手が悪く、社会人になると同時に真っ先に処分されるのが「漢和」では? いや、古語の方が使い道ないか...
それはともかく、その使い勝手の悪さの理由は、
1)引きづらさ(目的語がなかなか検索できない)
2)目的語がそもそも、掲載されてない!!
の二つに集約されると思う。
まず、その漢字の読み方「も」判らないから辞典で引いてみようと思うが、読みが判らなければ、部首か画数で、ということになる。
ところが、画数は計算が少し面倒。棒線や点の一つ一つが一画と計算される訳ではないからだ。
さりとて、部首となると、さらに奇々怪々。
たとえば、閣/問/聞/悶。この四つの漢字、實は全部部首が違うんだそうな。どうしてそうなるかというと、そもそも「部首」とは、漢字の意味を表す「意符」と呼ばれる部分を取ることが基本だから。
こういったハナシ、私は全く初耳なのだが、高校の漢文の時間に習ったのだろうか?? ちなみに、「意符」に対するのが「音符」だが、何故か「漢辞海」には、前者は見出し語として掲載されているが、後者はない。ここら辺も、「一つの宇宙」として、漢和辞典が洗練されていない現れだと思うのだが...
閑話休題。
本書の著者は、新潮社の校閲部に勤務していて、従来の漢和辞典には不満があり、「日本語を読む為の漢字辞典」として、「新潮日本語漢字辞典」を企画したのだと言う。そこら辺が導入部になって、既存の中国学者や漢文学者からは聞けないような、やはらかい、日本語としての漢字のハナシがあれこれ聞ける。とにかく楽しい。
それから、アルファベットが至上世界のパソコン(ワープロ)において、逆に漢字が身近になって来たという逆説も見逃せない。少なくとも、自分を顧みれば、手書き時代より明らかに漢字の使用量が増えている。これは、正確に形状を記憶していなくても、パソコンでは筆記(出力)可能、また、使用に付いても、現在では様々な支援システムが充実しているので、学がなくても用法の正確さが増して来た。それにともかく、漢字には何とも言えない不思議な魅力がある。
偉大なジャレド・ダイヤモンド(確か奥さんが日本人)ですら、その主著の中で、日本人はいつまで非効率的な漢字を捨てられないのだろう、と書いていたが、国家が滅びない限り、日本人は漢字と同衾し続けるだろう、という気がしますよ。
一読、他の教養系ブンコにありがちな「雑学」系の書物と同一視する向きもあるかもしれないが、私はそうはよまない。そこには、漢字(中国古典や文化ではない)に対する愛情や好奇心が満ちている。小林秀雄の書き様をまねるなら、「彼の激しい喜びが感じられないやうでは、仕方がないであらう」
本書は博士号を請求するような学会向けの学術論文ではないのだから、細部で誤認や誤解があるのもやむを得ないだろう。そういったことは専門家が適宜、補正してあげれば済むことで、徒に☆を削ってなんになるか。「校正係」だといって、馬鹿にしたり軽んじたりしてはいけないのである。漢学者には偉ぶってるやつがまだ多いからな。
chacmool
『新潮日本語漢字辞典』の企画・編纂者による漢字論。
本書のテーマである「漢字は日本語である」というのは、端的に言えば「漢字は日本人によって磨き上げられ、本場中国にも負けないほどの一つの確固たる体系を持つに至った」といったニュアンスである。
このこと自体は別に目新しい論ではないが、その思いを胸に一冊の辞典まで作ってしまった著者が書くのだから、その言葉の重みは計り知れないものがある。
ただ、本書の構成はちょっと荒い、と言わざるを得ない。
日本における漢字の使い方のユニークな点を羅列して、「漢字はすごい。日本人はすごい」ということを謳いあげるだけで、どうも「日本語好きの雑感」以上のものになっていない気がするのだ。
もっと深い視点での分析と評価を期待していたので、少々肩透かしだった。
また、国の漢字政策についての論も、思いつくままに批判点をあげつらう、という印象だ。
日本語と漢字を知り尽くした著者だからこそ、もっと体系的に「こうすればいい」というところまで踏み込んでもらいたかった。
もっとも、漢字雑学本として読むのなら、十分楽しめる一冊。
本書のテーマである「漢字は日本語である」というのは、端的に言えば「漢字は日本人によって磨き上げられ、本場中国にも負けないほどの一つの確固たる体系を持つに至った」といったニュアンスである。
このこと自体は別に目新しい論ではないが、その思いを胸に一冊の辞典まで作ってしまった著者が書くのだから、その言葉の重みは計り知れないものがある。
ただ、本書の構成はちょっと荒い、と言わざるを得ない。
日本における漢字の使い方のユニークな点を羅列して、「漢字はすごい。日本人はすごい」ということを謳いあげるだけで、どうも「日本語好きの雑感」以上のものになっていない気がするのだ。
もっと深い視点での分析と評価を期待していたので、少々肩透かしだった。
また、国の漢字政策についての論も、思いつくままに批判点をあげつらう、という印象だ。
日本語と漢字を知り尽くした著者だからこそ、もっと体系的に「こうすればいい」というところまで踏み込んでもらいたかった。
もっとも、漢字雑学本として読むのなら、十分楽しめる一冊。